白鵬が判定の不服をしたことに対して、相撲協会やメディアから批判が出ている。
「行事は神聖なもの」というのが白鳳批判の理由だ。
審判が絶対であるのは、局面においては判定によって有利不利があるが、大局的に見れば、選手にもその対戦相手に限らず、興行者や観客といった業界全体にとってもそのほうが合理的であるからだ。
判定に究極的な正確性を求めるよりも、イベントをスムーズに運ばせる方が、より大勢の人がハッピーだということだ。
そのために審判に絶対的な権限を渡し、神格化という精神論で強化したことが、よく言われる「審判の判定は絶対です」の背景だ。
ビデオやセンサーなどスムーズで正確な判定ができるテクノロジーが江戸時代からあれば、そもそも判定に関して行事は神聖化されなかっただろうと思う。
もしろん、イベント運びをするMCとしての絶対権限は変わらない。
白鳳は、その場では文句を言わなかった。
文句をいうと観客がアンハッピーになるからだ。
もしややこしくなって時間が伸びれば放送関係者や視聴者もアンハッピーになる。
そういった背景を踏まえて、翌日の白鵬が何に不服を言っているかというと、「協会も審判員も、もっとプロの仕事をしてくれ」ということだろう。
白鳳は「命をかけてやっているんだから」とコメントしていた。
土俵際で組みながら倒れることはよく見られる光景だが、怪我と隣合わせであることを忘れてはいけない。
力士たちは言葉通り力士生「命」をかけてやっている。
プロの仕事をして下さい。
さらに相撲の未来にも影響がある。
相撲協会の「行事の判定は神聖なもの」発言は、新しいシステムがあるにも関わらず「古い体質を守りたい、今の立場を守りたい」という印象を与えるだろうと思う。
本人たちはそういうつもりじゃないと否定するだろうが、本人たちの「つもり」は関係ない。
相撲が盛り上がるためには、身体能力の高い子どもを、野球やサッカーから奪い取るくらいの気持ちでやっていく必要がある。
協会の年寄りたちは、自分たちの判断や発言が、子どもたちにどう受け取られるか、もう少し考えた方がいい。
広告代理店などの外部の力を借りてもいいくらいだ。あとメディアも、もう少しスポーツを勉強して下さい。(多分、新聞を読むのが年寄りだけだからそういう協会寄りの記事なるんだと思いますが)
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