フジファブリック - 花屋の娘、赤黄色の金木犀



エイミー・ワインハウスが死亡というニュースを見て、それで初めて彼女のことを知ってYouTubeで見てみたのですが、スゴイですね、この人。
こりゃ、しばらくはまっちゃいそうですね。

それにしてもノルウェーで大量殺人があったり、中国で鉄道事故があったり、悲しいニュースが続きますね。

中国の鉄道は、発展を急ぎすぎて一般市民が犠牲になったんじゃないか、っていう印象は当然あって、亡くなった人や家族のことを思うといたたまれないです。
ノルウェーのほうは理解の範囲を超えていてなんて言っていいかわからないけれど、あまりにも理不尽すぎてツライ、ツラすぎる。


エイミー・ワインハウスのニュースのはなしに絡めて、僕にとってフジファブリックのボーカル志村正彦の死はちょっとしたショックでした。
検索して見ると2009年のことで、もう2年近く経つんですね。

フジファブリックを聞くようになったきっかけの曲がこの「花屋の娘」です。

歌詞がね、もう印象的で。
ガラガラの電車に座らずに乗っていて、暇だったんで駅前の花屋の娘とデートするんですよ。
妄想で。
どこ行きましょうか?って彼女が僕を見たり。
その内に娘は消えて行ってしまって、野に咲く花のようだっていう曲なんですね。

この曲で、この人の精神性に興味をもってしまいました。



他の曲も、常軌を軽く逸脱していますね。
いい意味で。

赤黄色の金木犀っていう曲は、去りゆく人がいて、でもその人に対して全ては伝えられないっていう諦めから入るんですね。
でもツライことに違いはないので心のなかで準備をあらかじめしておくんです。

冷夏のなか、金木犀の香りがして、もういよいよたまらない気持ちになってしまいます。

ただ、別れそのものに対しては、これがどういうわけか「期待はずれなほど感傷的にはなりきれず」

そして、いつの間にか影が長くなり、もう自分がどこにいるのかもわかならい・・・

そんな曲。


人に上手くコミットできない、ゆえにどこにも上手くコミットできない、自分はどこにいるんだろう。
分かる人にはわかる感情だと思います。

いろんな歌手がこういう掴みどころのないテーマに挑戦していて、そのキャリアの中で1曲くらいは上手く表現できているかもしれませんが、こんなにも表現をし続けられる歌手は、僕はこの人くらいしか知りません。


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